お伊勢めぐり上級編
茜社【あこねやしろ】 >地図

しかしやがて当社は、歴史の流れの中で荒廃し、室町時代に至って土地の人々の産土神としてよみがえります。かつての赤畝の社はなまって「あこね」となります。「茜」の字があてられたのは明治初期です。
以来、「あこねさん」は、域内の茜稲荷や茜天神とともに土地の人々(産子)の願いをきいてきました。五穀豊饒・商売繁昌・家内安全・学業成就など。
本社は、山田産土神(うぶすなかみ)の一つであり、また神宮御遷宮のたびにその残材の払いさげを受けて神宮にならって御遷宮をしてきたのです。
麻吉旅館【あさきちりょかん】 >地図
木造6階建ての旅籠

【住所】伊勢市中之町109
【電話番号】0596-22-4101
旭湯【あさひゆ】 >地図

【住所】伊勢市神久1丁目1-16
【電話番号】0596-25-1126
荒木田守武の句碑【あらきだもりたけのくひ】 >地図
俳祖・荒木田守武の代表句

【住所】伊勢市宇治中之切町152
【電話番号】0596-22-0001
五十鈴川【いすずがわ】
伊勢を流れる神聖なる川

伊勢根付彫刻館【いせねつけちょうこくかん】 >地図
”根付”とは、江戸時代に大流行した、印籠や煙草入れの端につけるミニ彫刻のことです。かつては、お伊勢参りの人気みやげの一つだったので、伊勢は今なお、全国でも根付師(根付を彫る職人)の多いところとして知られています。館長の中川忠峰さんは、伊勢根付に魅せられて10数年という熟練の根付師。伊勢市の西郊にある工房(伊勢根付彫刻館)には、中川さんの作品をはじめ、地元で活躍する根付師の作品約80点が並んでいます。 また”木の宝石”と呼ばれるツゲの中でも、特に粘りと堅さのある伊勢独特の「朝熊ツゲ」を使って、干支や七福神などの精緻な模様を彫り込んだり、きめ細やかに磨きあげたりする作業など、根付が完成するまでの様子が見学できます。
伊勢のマンホール【いせのまんほーる】
古風なデザインが魅力

伊勢古市参宮街道資料館【いせふるいちさんぐうかいどうしりょうかん】 >地図
古市の繁栄を伝える資料館

【住所】伊勢市中之町69
【電話番号】0596-22-8410
【休館日】毎週月曜日(その日が祝日の場合は翌日)、休日の翌日(ただしその日が日曜日は除く)、年末年始(12/29~1/3)
伊勢和紙館【いせわしかん】 >地図
伊勢和紙のルーツはここ

【住所】伊勢市大世古1-10-30
【電話番号】0596-28-2359
【休館日】土、日、一部祝日
磯神社【いそじんじゃ】 >地図
御巡幸の足跡を残す場所

【住所】伊勢市磯町1069
【電話番号】0596-37-5261
岩田提灯店【いわたちょうちんてん】 >地図

糸で竹ひごを結んだり、和紙を一枚ずつ張り合わせていく作業を間近で見ることができます。
【住所】伊勢市船江2-4-19
【電話番号】0596-28-3041
宇治神社の足神さん【うじじんじゃのあしがみさん】 >地図
健脚の神様

【住所】伊勢市宇治今在家町172
【電話番号】0596-24-9587
【社務所受付時間】9:00~12:00(祭典日、祝日以外の木曜日は休み)
牛谷坂【うしたにざか】
牛鬼伝説が残る坂

【住所】伊勢市桜木町・宇治浦田
大五輪の五輪塔【おおごりのごりんとう】
県内最大の古塔

【住所】伊勢市楠部町
大湊海岸【おおみなとかいがん】
かつては造船の町として繁栄

【住所】伊勢市大湊町
尾崎行雄【おざき ゆきお】
憲政の神とたたえられた尾崎行雄(1858~1954)の記念館。若くして自由民権運動に身を投じ、国会開設以来の連続当選25回63年余の衆議員議員としての活動は世界議会史上の記録となり、日本議会政治の父と仰がれている。
小津安二郎【おづ やすじろう】
明治36年(1903)、東京市深川区で肥料問屋を営む父寅之助、母あさえの5人兄妹の次男として生まれる。寅之助の、子供の教育は田舎の方がいいという考えで、父だけ東京に残り、一家は父の郷里の松阪市に転居し、松阪市立第ニ尋常小学校4年に転入する。
大正5年、同小学校を卒業するや、4月に「三重県立第四中学校(現宇治山田高校)」に入学。寄宿舎に入り、柔道部に入部などスポーツを楽しむ。大正10年、宇治山田中学校を卒業。神戸高商・三重県立師範学校を受験して落ち、三重県飯南郡宮之前の尋常小学校に代用教員として勤める。
この、小津安二郎が通学した宇治山田中学跡地は、先の大戦で空襲に遭い、今は船江公園(船江1丁目)となっており、隣接地の寄宿舎跡地には赤レンガの煙突が残り、それぞれに名前を刻んだ石柱が立つ。
今、小津を偲ぶ伊勢市民が「小津安二郎生誕100年記念・伊勢映画フェスティバル2003実行委員会」を設置し、中学校跡地に記念碑の建立や、映画会・コンサートなどを計画している。蔵が並ぶ川崎の街並みの近くにあり、散策のルートに加えていただければありがたい。
多感な青春時代を過した伊勢の地。多分何杯も食べたであろう「喜八屋」の伊勢うどん・・。朝熊山に登ったりした学生生活が、彼の日記から浮かび上がる。
大正5年、同小学校を卒業するや、4月に「三重県立第四中学校(現宇治山田高校)」に入学。寄宿舎に入り、柔道部に入部などスポーツを楽しむ。大正10年、宇治山田中学校を卒業。神戸高商・三重県立師範学校を受験して落ち、三重県飯南郡宮之前の尋常小学校に代用教員として勤める。
この、小津安二郎が通学した宇治山田中学跡地は、先の大戦で空襲に遭い、今は船江公園(船江1丁目)となっており、隣接地の寄宿舎跡地には赤レンガの煙突が残り、それぞれに名前を刻んだ石柱が立つ。
今、小津を偲ぶ伊勢市民が「小津安二郎生誕100年記念・伊勢映画フェスティバル2003実行委員会」を設置し、中学校跡地に記念碑の建立や、映画会・コンサートなどを計画している。蔵が並ぶ川崎の街並みの近くにあり、散策のルートに加えていただければありがたい。
多感な青春時代を過した伊勢の地。多分何杯も食べたであろう「喜八屋」の伊勢うどん・・。朝熊山に登ったりした学生生活が、彼の日記から浮かび上がる。
音無山【おとなしやま】
伊勢湾が一望できる山

【住所】伊勢市二見町江
御師【おんし】
旅行業もこなしていた伊勢神宮の神職
江戸時代御祓大麻(おはらいたいま)を渡し、一般の人々に代わって祈祷を行うとともに、参拝者の宿泊・案内にも活躍。これらの御師たちの館が立ち並んでいた通りが、「おはらい町」と名付けられました。
神落萱神社【かみおちがやじんじゃ】 >地図
子孫繁栄を願う神社

【住所】伊勢市倭町18
神路通り【かみじどおり】
神様の通り道

【住所】伊勢市一志町
臥竜梅【がりゅうばい】
道真公が奉納した梅

【住所】伊勢市御薗町新開
河辺七種神社【かわべななくさじんじゃ】 >地図
河崎町の産土神をおまつりし、例祭日は7月中旬の天王祭で、神輿や勢田川で水中花火などが催されます。町民からは「てんのうさん」といって親しまれている。
かんこ踊り【かんこおどり】
宮川沿いに残る奇祭

御薗町上條 8月14日
御薗町小林 8月15日
円座 8月15日
佐八 8月16日
木遣り【きやり】
式年遷宮を盛り上げる掛け声
遷宮の御木曳行事で、御神木を運ぶための作業毎に唄があり、神領民であった伊勢の人々が現在まで守り伝えてきました。現在では、毎年10月に行われる初穂曳等でも唄われています。
久昌寺【きゅうしょうじ】 >地図
平家の菩提を弔うお寺

【住所】伊勢市矢持町
旧豊宮崎文庫【きゅうとよみやざきぶんこ】
外宮祠官子弟の学び舎

【住所】伊勢市岡本3丁目
黒門【くろもん】 >地図
元・御師邸宅の立派な表門
江戸時代に活躍した御師・福島みさき大夫(おんし・ふくしまみさきだゆう)の屋敷の門(安永9年建設)を昭和10年に移築したもので、昭和33年に伊勢市の文化財に指定されました。
【住所】伊勢市神田久志本町(御幸道路沿い)
【住所】伊勢市神田久志本町(御幸道路沿い)
小西萬金丹【こにしまんきんたん】 >地図
参宮客を救ってきた漢方薬の老舗

【住所】伊勢市八日市場町1-20
【電話番号】0596-28-2647
欣浄寺【ごんじょうじ】 >地図
本寺は、天文9年(1540)、易誉(えきよ)上人の開基と伝えます。法然上人(1133~1212)の日本二十五霊場の十二番に数えられています。
寺宝に、著名な円光大師(法然上人)感得日の丸名号と円光大師満月像を伝えています。
日の丸名号というのは、承安5年(1173)、法然上人が念仏弘通を願って神宮に参籠し、一心にお念仏を申されるとやがて大日輪が現れ、その中に六字の名号「南無阿弥陀仏」が光り輝いたという言い伝えです。
また満月像は、法然上人が讃岐国に流罪のとき、神宮へ納めるために自分の像を彫り、故あってその像をこの寺に納めることになったとき、当寺の住職も同時に満月が本堂に下りてきた夢を見た、とされていることから名付けられました。
寺宝に、著名な円光大師(法然上人)感得日の丸名号と円光大師満月像を伝えています。
日の丸名号というのは、承安5年(1173)、法然上人が念仏弘通を願って神宮に参籠し、一心にお念仏を申されるとやがて大日輪が現れ、その中に六字の名号「南無阿弥陀仏」が光り輝いたという言い伝えです。
また満月像は、法然上人が讃岐国に流罪のとき、神宮へ納めるために自分の像を彫り、故あってその像をこの寺に納めることになったとき、当寺の住職も同時に満月が本堂に下りてきた夢を見た、とされていることから名付けられました。
桜木地蔵【さくらぎじぞう】
出世地蔵として知られる

【住所】伊勢市桜木町
猿田彦神社【さるたひこじんじゃ】 >地図
「みちひらきの神」として有名

【住所】伊勢市宇治浦田2-1-10
【電話番号】0596-22-2554
沢村栄治・西村幸生記念碑【さわむらえいじ・にしむらゆきおきねんひ】
伊勢が生んだ伝説の2投手

【住所】伊勢市楠部町
注連縄【しめなわ】
一年中飾る注連縄

寂照寺【じゃくしょうじ】 >地図
神宮を愛した千姫の菩提寺

【住所】伊勢市中之町101
【電話番号】0596-22-3743
寿巌院【じゅがんいん】 >地図
当寺は、元和元年(1615)、綠蓮社欣誉巌上人の開基と伝えられています。
宝永3年(1706)の大火から中興、その後山下にあったものを山上の現在地に移築し、明治の廃仏棄釈にも耐えて入門寺・念仏寺・善念寺などを合せながら今日に至りました。
境内にある「眠地蔵」は不眠症や子供の夜泣きに、「身代わり地蔵」は病人の身代わりになってくれると伝えられてきました。
また、三浦樗良(1729~80)の落葉塚、神風館十一世野篠寸大(1726~1807)らの句碑のほか、六地蔵石幢(17世紀)があります。
宝永3年(1706)の大火から中興、その後山下にあったものを山上の現在地に移築し、明治の廃仏棄釈にも耐えて入門寺・念仏寺・善念寺などを合せながら今日に至りました。
境内にある「眠地蔵」は不眠症や子供の夜泣きに、「身代わり地蔵」は病人の身代わりになってくれると伝えられてきました。
また、三浦樗良(1729~80)の落葉塚、神風館十一世野篠寸大(1726~1807)らの句碑のほか、六地蔵石幢(17世紀)があります。
鷲嶺【しゅうれい】 >地図
宮本武蔵の修行地
標高548mの山で、吉川英治著の『宮本武蔵』にも登場。また、平家の落人伝説があり、山頂の鷲嶺観音は壇ノ浦に向かって平氏の冥福を祈っていると伝えられます。
鷲嶺の水穴【しゅうれいのみずあな】 >地図
気になる伊勢の秘境

正覚寺【しょうかくじ】 >地図
当寺は和歌山藩円座組の大庄屋であった米山九代の裔、米山多右衛門宗持(1790~1839)が、文化8年(1811)開基、広泰寺十四世大巌和尚が開山と伝えます。もと大智庵といいましたが、元治2年(1865)正覚寺と改めました。
宋版大般若経は、中国の北宋の紹聖2年(1095)のものが中心となっています。
なお境内で三重県指定の無形民俗文化財である「羯鼓踊」が、毎年8月15日に行われます。
また境内前の道饗社には、天正8年(1580)在銘の、伊勢市最古の庚申塔があります。
宋版大般若経は、中国の北宋の紹聖2年(1095)のものが中心となっています。
なお境内で三重県指定の無形民俗文化財である「羯鼓踊」が、毎年8月15日に行われます。
また境内前の道饗社には、天正8年(1580)在銘の、伊勢市最古の庚申塔があります。
神宮徴古館【じんぐうちょうこかん】 >地図

【住所】伊勢市神田久志本町1754-1
【電話番号】0596-22-1700
【休館日】毎週木曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日~31日
神宮農業館【じんぐうのうぎょうかん】 >地図

【住所】伊勢市神田久志本町1754-1
【電話番号】0596-22-1700
【休館日】毎週木曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日~31日
神宮美術館【じんぐうびじゅつかん】 >地図

【住所】伊勢市神田久志本町1754-1
【電話番号】0596-22-5533
【休館日】毎週木曜日(祝日の場合は翌平日)、12月29日~31日
シンフォニアテクノロジー響ホール伊勢【しんふぉにあてくのろじーひびきほーるいせ】 >地図
文化を創造

【住所】伊勢市岩渕1-13-15
【電話番号】0596-28-5105
筋向橋【すじかいばし】 >地図
かつての伊勢街道、伊勢本街道、熊野街道の合流地

【住所】伊勢市常磐
世義寺【せぎでら】 >地図

中世、外宮宮域の西に移り、寛文10年(1670)の山田大火には幸い類焼をまぬがれましたが、神域と寺門の接するのを憂えた山田奉行によって現在地に転じました。
この間、当寺は、大峰山修験道の先達寺院として盛時には十余坊の塔頭をかぞえましたが、歴史の中で今日にのこるのは護摩堂であったこの威徳院のみとなりました。
しかし、毎年7月7日に行う柴灯(さいとう)大護摩は、日本三大護摩の一つと呼ばれ、内外両宮の法楽から万民悦楽までを祈る激しい祈祷で当時の伝統を残しています。
【住所】三重県伊勢市岡本2-10-80
【電話番号】0596-28-5372
太江寺【たいこうじ】 >地図

辺りは静かな雰囲気で、しっとりとした上品な感じを受ける。
4月下旬から5月上旬には「藤」、6月には「紫陽花」の名所として知られている。
ユースホステルも兼ねており、リーズナブルに泊まることができる。
【住所】伊勢市二見町江1659
【電話番号】0596-43-2283
大林寺【だいりんじ】 >地図
油屋騒動の主人公が眠る寺

【住所】伊勢市古市町
【電話番号】0596-28-4541
丁塚古墳【ちょうづかこふん】 >地図
伊勢市最古の古墳
6世紀前期に造られた径29メートル、高さ4メートルの円墳。地籍図や名字から考えると、水濠をもった前方後円墳である可能性も…。別名「経塚古墳(きょうづかこふん)」とも呼ばれています。
【住所】伊勢市西豊浜町
【住所】伊勢市西豊浜町
等観寺【とうかんじ】 >地図
当寺は、応永元年(1394)、後小松天皇の勅願による草創、開山は大翁真覚禅師であります。
慶安元年(1648)、三河国新城城主の実弟吉山玄賀(きつさんげんが)禅師が中興開山となって大いに寺観を整えました。
明和2年(1765)の改築大修理により現在の規模が完成し、明治初めの廃仏毀釈の波をのり越えて今日に至りました。
慶安元年(1648)、三河国新城城主の実弟吉山玄賀(きつさんげんが)禅師が中興開山となって大いに寺観を整えました。
明和2年(1765)の改築大修理により現在の規模が完成し、明治初めの廃仏毀釈の波をのり越えて今日に至りました。
籐商玉屋【とうしょうたまや】 >地図
伊勢では、初孫が生まれると籐の乳母車を贈ります。そんな庶民の風習を支え続けてきたのが、昭和の初めから乳母車を手作りしている「籐商玉屋」。ここでは、県下でも珍しくなった籐職人の仕事ぶりがうかがえます。店の奥で乳母車の製作に励むのは、玉村実三郎さん、周郎さんの父子。この道70年の実三郎さんの手は、休むことなく上へ下へとリズミカルに働き、細長い籐づるを器用に作ります。一人前になるまでに10年はかかるといわれ、力の入れ具合やカンは、とても一朝一夕に修得できるものではありません。店内には、籐の家具やインテリア製品も並んでいます。希望すれば、籐工芸教室にも参加できます。
長峰神社【ながみねじんじゃ】 >地図
地元の愛称は「おすめさん」

【住所】伊勢市古市町333-1
何木塚【なんのきづか】
芭蕉が外宮を句で表現

【住所】伊勢市岡本
日蓮上人誓いの聖跡【にちれんしょうにんちかいのせいせき】
3つ誓いを内宮に祈願

【住所】伊勢市倭町
野口みずき記念碑【のぐちみずききねんひ】 >地図
野口選手、原点の地

【住所】伊勢市楠部町159
梅香寺【ばいこうじ】 >地図
当寺は徳川家康の側室・お梅の方(1586~1647)(蓮華殿窓誉梅香禅尼)の願いにより、当地出身の蓮随(れんずい)上人(~1621)が元和元年(1615)蓮随山上(外宮西南1km)に創建し、明治45年(1912)現在地に移転中興いたしました。
当山は8世広誉詮雄(江戸増上寺28世貫主)9世要誉寅載(同増上寺経蔵司)などの高徳を経て、現在25世に至っています。
また梅香禅尼にまつわる諸種の遺品を蔵しています。境内に毘沙門堂・句碑・歌碑などがあります。旧地の近くに梅香禅尼の五輪塔のお墓があります。
当山は8世広誉詮雄(江戸増上寺28世貫主)9世要誉寅載(同増上寺経蔵司)などの高徳を経て、現在25世に至っています。
また梅香禅尼にまつわる諸種の遺品を蔵しています。境内に毘沙門堂・句碑・歌碑などがあります。旧地の近くに梅香禅尼の五輪塔のお墓があります。
二見浦海水浴場【ふたみうらかいすいよくじょう】

白砂青松の二見浦は、渚100選にも選ばれた美しいビーチ。
さらに、なんと、この二見浦海水浴場は、明治15年、全国海水浴場の第一号「海水浴発祥の地」なのです。
二見興玉神社【ふたみおきたまじんじゃ】 >地図

縁結び、交通安全等のご利益で知られている神社。
船江上社【ふなえかみのやしろ】 >地図
当社地は、むかし、外宮摂社・河原淵神社の社地であったとされています。
戦国時代、荒れるにまかせたその宮跡に、付近の住民が自分たちの産土神をまつったようです。祭神は古来八幡神など称していましたが、大正2年、その河原淵神社の祭神・澤姫神を当社の主祭神ときめました。
なお、社名は、むかし船江に上下の二村があり、当社が上船江に位置し、この地の産土社であることをあらわしています。
また神社の前の池は朧ヶ池といい、かつて宮川の分流がここを通って勢田川にそそいでいた名残です。
どんな日照りでも、涸れることがないといわれています。
戦国時代、荒れるにまかせたその宮跡に、付近の住民が自分たちの産土神をまつったようです。祭神は古来八幡神など称していましたが、大正2年、その河原淵神社の祭神・澤姫神を当社の主祭神ときめました。
なお、社名は、むかし船江に上下の二村があり、当社が上船江に位置し、この地の産土社であることをあらわしています。
また神社の前の池は朧ヶ池といい、かつて宮川の分流がここを通って勢田川にそそいでいた名残です。
どんな日照りでも、涸れることがないといわれています。
松井孫右衛門人柱堤【まついまごえもんひとばしらづつみ】 >地図
宮川を鎮めた孫右衛門さん

【住所】伊勢市中島
松尾観音寺【まつおかんのんじ】 >地図
除災や縁結びにご利益

【住所】伊勢市楠部町松尾山
【電話番号】0596-22-2722
松下社【まつしたしゃ】 >地図

当社の創立は不詳であります。『氏経日次記(うじつねひなみき)』文安6年(1449)の記事が古い記録です。
この社にいつの日か素盞鳴尊と同神とされる牛頭(ごず)天王が勧請され、やがて同神とかかわる蘇民社もまつられたものでありましょうか。
蘇民社では古くから「蘇民将来子孫」と書いた桃符を配布し(領布初祭12月16日)、近郊ではそれを受けて注連縄に吊し、今に至っています。
なお牛頭天王の縁起を書いた元和6年(1620)銘の儀軌が、当会所に蔵されています。
また境内に樹齢1000年といわれる大楠(県指定天然記念物)もあります。
御食神社【みけじんじゃ】 >地図
家庭を守る水の言い伝え

【住所】伊勢市神社港
御塩浜【みしおはま】
神宮に良質の塩を奉納

【住所】伊勢市二見町西
御手洗場【みたらし】
美しい石畳

【住所】伊勢市宇治館町
宮川堤【みやがわつつみ】
必見!宮川の桜並木

【住所】伊勢市中島・宮川
御幸道路【みゆきどうろ】

明星寺【みょうじょうじ】 >地図
寺伝では天正元年(1573)東寂光禅師の開基とされています。
本尊阿弥陀如来坐像(県文)は桧材、寄木造り、漆箔像。もと字山田原の密巌(みつごん)寺(臨済宗東福寺派・廃)の本尊であったとされています。
収蔵庫内には、もと本尊薬師如来坐像(重文)を安置しています。像高103cm。桧材、寄木造り、もと漆箔像。現在は素地をあらわしています。
本尊阿弥陀如来坐像(県文)は桧材、寄木造り、漆箔像。もと字山田原の密巌(みつごん)寺(臨済宗東福寺派・廃)の本尊であったとされています。
収蔵庫内には、もと本尊薬師如来坐像(重文)を安置しています。像高103cm。桧材、寄木造り、もと漆箔像。現在は素地をあらわしています。
明治天皇巡幸の碑【めいじてんのうじゅんこうのひ】
明治天皇の神宮参拝を記念

山田奉行所跡【やまだぶぎょうしょあと】
徳川幕府は直轄地の支配のために、全国の要地に遠国奉行を置きました。当奉行所はその中の一つで、慶長8年(1603)創置されました。初代奉行は長野内蔵允で、度会郡有滝村(伊勢市有滝町)に開庁しました。寛永12年(1635)花房志摩守のとき、ここ小林村へひき移り、慶応4年(1868)の廃絶まで230余年、奉行は48名に及びました。
当所は老中の支配に属し、神宮の警衛、造営に関与し、宇治と山田(伊勢市)の庶政の監督、公事訴訟、伊勢湾海防などの役務を担いました。
奉行はほぼ上級旗本で、ご用人以下同心、水主など100人ほどの編成でありました。
役屋敷は13,960坪(46,100平方メートル余)で環濠を巡らせていました。明治6年以降の官有地払い下げで民有地になりました。
当所は老中の支配に属し、神宮の警衛、造営に関与し、宇治と山田(伊勢市)の庶政の監督、公事訴訟、伊勢湾海防などの役務を担いました。
奉行はほぼ上級旗本で、ご用人以下同心、水主など100人ほどの編成でありました。
役屋敷は13,960坪(46,100平方メートル余)で環濠を巡らせていました。明治6年以降の官有地払い下げで民有地になりました。
山田奉行所記念館【やまだぶぎょうしょきねんかん】 >地図
江戸町奉行・大岡忠相の原点

【住所】伊勢市御薗町上條1602
【電話番号】0596-36-8833
離宮院址【りきゅういんし】
王朝ロマン漂う国史跡
伊勢神宮の祭祀をつかさどる斎王が奉仕のときに泊まった宿舎跡と云われる離宮院址。現在は、梅林や桜の整備された自然豊かな「離宮院公園」となっています。(国指定文化財)
【住所】伊勢市小俣町本町
【住所】伊勢市小俣町本町
和具屋【わぐや】
