書物を開いて伏せたような三角形の屋根を持つ家。伊勢の民家には切妻、妻入りが多く、のこぎり状の屋根からはリズム感を感じます。
その理由は、神宮の正殿が平入りなので、神宮と同じでは「畏れおおい」ためとか、道路に面する関係上、間口が狭く奥行きの深く細長い敷地が多かったことが、切妻入りの建物を普及させたのだと言われています。
屋根は「伊勢瓦」と呼ばれる伊勢特有の瓦で葺かれ、二階部には「張り出し南張り」と呼ばれる外囲いが設けられています。また、一階の軒庇の先端には「軒がんぎ板」という垂木の鼻隠しがすえられ、これがまちなみに連続性を持たせる大きな要因となっています。
伊勢の町を歩くと、家々の門口に注連飾りが掲げてあるのが目につきます。中央に「蘇民将来子孫家門」あるいは「笑門」「千客萬来」などと墨書きした門符(木札)が付き、左右にシデやウラジロなどを飾った太い注連縄です。正月の注連縄飾りは普通は松の内が過ぎればはずすのが一般的ですが、伊勢志摩では、一年間かけたままで過ごす風習があります。
それは、「その昔、この地を訪れたスサノオノミコトに、貧しいながらも慈悲深い蘇民将来が一夜の宿を貸した。ミコトは旅立つ時、今後は門符を門口にかけておけば、子孫代々疫病から免れると言い残した」という伝説があるからです。蘇民の子孫である証拠として門符を掲げ、無病息災を願うようになったそうです。つまり、家内安全の祈りを込めた「厄除け」の門符です。
ちなみに「笑門」とは、後に「蘇民将来子孫家門」を縮めた「将門」で、さらにこれが平将門に通じるのを嫌って「笑門」になったと言われています。
明治以降に定着した風習に「朔日詣」があり、毎月一日には早朝に神宮へ参り、神様に感謝し、清らかな気持ちでその月をはじめるという神領ならでの美風です。
現在もその風習は続いており、内宮門前のおかげ横丁はこの日は早朝からお店を開けて特製の粥を振る舞ったり、参拝客をもてなしています。
土用の丑の日と旧暦の八月一日には、古くからの習わしがあります。
五十鈴川の水を汲んで内宮域内の瀧祭神(たきまつりのかみ)へお供えした後、家に持ち帰って神棚にお供えすると、一年中息災で過ごせるといわれています。
心のふるさと伊勢には、古くからその風土と歴史の中で育まれてきた伝統工芸品が受け継がれています。それぞれの素材の持つ素朴な味わいをいかした製品として親しまれています。
「伊勢まちかど博物館」は、伊勢の町おこしグループ「ザ伊勢講」が中心となり、「人間誰でもちょっとした場所さえあれば、自分の好きなものや誇れるもの、楽しみをもとに博物館の一つくらいは作れる」を基本テーマに始まりました。
昔からお伊勢参りの旅人をもてなしてきた伊勢の町には、今もまちかどのあちこちに伝統や文化が息づいており、庶民の暮らしを伝える個人のコレクションや地場産業の工房など、地域も伊勢から二見へと広がって、現在では30館がまちかど博物館として公開されています。
そこでしか見られない伊勢の生きた文化を生粋の伊勢っこたちが紹介する「まちかど博物館」。急ぎ旅では味わえない、素顔の伊勢に出会えます。