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日本史上最高の俳諧師の一人である松尾芭蕉は、伊賀上野(現:三重県上野市赤坂町)の下級武士の次男として生まれました、芭蕉は生涯6度伊勢を訪れたといわれています。尊敬する西行法師や俳諧の祖である荒木田守武神主ゆかりの地である伊勢は芭蕉にとって憧れの土地だったのでしょう。碑文の「何の木の花とはしらずにほひかな」は、1688年(貞亨5年)芭蕉45歳「笈の小文」の旅のとき伊勢に立ち寄り詠んだもの。その句は西行法師が神宮を詠んだ心を踏まえて詠んだもので、外宮に漂う神秘的な「にほひ」で表現しています。
住所:三重県伊勢市岡本1丁目祖霊社内
山田奉行所は、江戸時代に幕府が伊勢国に設置した遠国(おんごく)奉行の一つです。大岡能登守(のち越前守)忠相が奉行として来ていたことは有名な話です。 山田奉行所の任務は、伊勢神宮の警備・遷宮の監督・伊勢国幕府領の支配・鳥羽港の監視などでした。奉行所の場所について、最初は、宮川の西、海岸沿いの有滝を本拠としていたようです。外宮界隈(山田)にも役所跡や屋敷跡と呼ばれる場所が三ケ所あり、これらは「公事裁許場」(本拠から奉行たちが出張し処理に当たった役所)と考えられています。そのうち吹上にあった一本木役所の後に、奉行所跡の碑がひっそりと建っています。
※なお、明治まで本拠のあった御薗町小林にも奉行所跡の碑が建っています。また、奉行所のことがわかる山田奉行所記念館がありますので、そちらも訪れてください。
住所:三重県伊勢市吹上2丁目5-3 ぎゅうとらエディース八間通店駐車場横
俳祖・荒木田守武は、室町時代後期(1473~1549)、内宮の禰宜(ねぎ)を勤めていた荒木田家に生まれ、15歳で禰宜、59歳で長官になりました。早くから連歌に秀で、約束ごとの多い連歌から、平易・滑稽を旨とする俳諧の連歌を確立し、「俳諧の祖」と仰がれました。
碑に刻まれた代表句「元日や神代のことも思はるる」は、荒木田守武が、64歳の時に作ったもの。旧宅跡近くの神宮ばら園の一角に、没後410年を記念して建てられました。
住所:三重県伊勢市宇治中之切町152伊勢市宇治中之切町如雪園
伊勢市大林寺にある、油屋騒動(馴染みの遊女をほかの座敷にとられたことに端を発した、9人の刃傷沙汰)の「孫福斎」と「お紺」の菩提を弔う塚です。この事件は歌舞伎「伊勢音頭恋寝刃」になり、人気演目となっています。向かって左がお紺の墓 右が孫福斎の墓、真ん中は六地蔵です。今でも、油屋騒動を題材とする舞台などが行われると、出演する役者さんなどが必ずこの菩提にお参りされます。
住所:三重県伊勢市古市町97
明治5年、明治天皇は伊勢湾に停泊した軍艦から小舟で勢田川を上り、舟参宮の船着場であった神久地区に上陸、伊勢神宮の外宮・内宮を参拝されました。その時の記念碑が残されています。歴代の天皇は勅使を遣わせるのみで、天皇ご自身が伊勢神宮を参拝されたのは、明治天皇が初めてとも。舟参宮の船着場であった神久は、当時茶屋が二軒あったことから地名を二軒茶屋と名付けられました。
住所:三重県伊勢市神久