伊勢の道を歩くと家々の間の小さな路地が目につきます。伊勢ではこれを世古と呼び、江戸時代から明治時代にかけて名前が付いているものだけでも130以上あったと記録されています。しかし戦後、大半の世古は拡張されるなどして姿を消していきました。それでも、現在に残るものを見ると世古が暮らしの中に生き続け、子供達の遊び場になっています。 世古は人々の姿や生活を身近に感じることができ、昔ながらの物が今もいきづいています。短く曲がりくねった道は、少し歩けば曲がり角にぶつかり、その先にどんな景色が飛び出すか楽しみになります。
伊勢の道を歩くと家々の間の小さな路地が目につきます。伊勢では路地のことを世古(せこ)と呼びます。京都では小路(こうじ)、大阪・松阪では小路(しょうじ)と言われるものです。特に南北に通る道を世古と言いましたが、今では東西の道の小路も世古と呼ばれます。世古の由来には、世古は「迫」と同義で、両方から迫りあった細い道を意味したとか、セ・・・「狭い」、コ・・・「処」、すなわち「狭処」(せこ)が世古に転化したものではないかなど様々な説があります。
外宮周辺、山田の町は東西に走る参宮街道があり、そこから寺院、御師(おんし)(※)屋敷への引き込み道として世古が整備されたと見られます。江戸時代から明治時代にかけて名前が付いているものだけでも130以上あったと記録されていますが、戦後、大半の世古は拡張されるなどして姿を消していきました。それでも、現在に残るものを見ると車の入らない世古は子供達の遊び場になったりして、暮らしの中に生き続けています。
※江戸時代お伊勢参りを案内した「御師」とは、日本全国の自分の担当地域からお伊勢参りに訪れる人々を案内し、神職として自分の屋敷で神楽をあげるなどして、参拝者をもてなしました。
世古の名前は、会所、風呂屋など町の施設のとの関連、方位や位置、自然景物にちなむものなどがあります。形態も、直線・湾曲・通り抜け・袋小路など多様です。世古はやがて「世古」から町へ発達し、大世古町などは、世古名が町名になったものです。世古の名前の一例に、「びっくり世古」「御師世古」「烏帽子世古」などがあります。
江戸時代に大しけに遭い、朝鮮まで流された人が、家人に無事を知らせようと「日本、藤六屋世古母人参る」と宛名を書いて便りを託したところ、まず長崎に着き、そこで「世古というからこれはお伊勢さんのある伊勢に違いない」ということになり、便りは無事家人に届けられたそうです。お伊勢参り人気により、伊勢の世古がいかに広く全国に知られていたかがわかります。
特に外宮周辺に世古が多く残っています。下のマップで世古をクリックしてみてください。世古の名前の由来などがわかります。世古に興味をもったら、実際に訪れてみてください。主な世古の入り口には案内の碑が建っていますので、目印になります。観光客の方にわかりやすいところでは、伊勢和紙館の前の通りが大世古です。内宮周辺では、おはらい町通りから世古に入る道がいくつかあります。こちらの世古も、観光のついでに通ってみてください。