神無【かんな】月とは十月のことをいいます。十月には、この世から神様がいなくなるのでしょうか―。
いいえ、ただ一ヵ所、出雲【いずも】地方では、十月のことを神有月と呼んでいるのです。おそらく日本中の神様は、毎年十月に出雲の国にお集まりになり、神様の定期大会をお開きになるのでしょう。
これはずいぶん昔のことですが、山の神さんがその大会に、初めて参加されたときのことです。
因幡【いなば】の白兎【しろうさぎ】で知られる出雲の会場は、八百万【やおよろず】の神が集まるのですから、たいへん大きく、神殿を形どった、それはきらびやかなものでした。中に入ると、正面の演壇には大きな鏡餅【かがみもち】を飾り、大国主【おおくにぬし】の神が歓迎のあいさつをしています。
伊勢の山奥から参加した山の神さんには、すべてが驚きでした。
本会議が終わると、大鏡餅を切ってパーティが始まります。いつも村の人たちに供えてもらう、お団子しか食べたことのない山の神さんにとって、初めて口にするお餅のおいしいこと。
「わしら、初めて餅というものを食うんやけど、こんにうまいもん初めてですわ。これが神さんの食べもんですんかな」
聞くと、立派な神様は
「ほう、初めてとなあ。面白い神様じゃのう。国では食べないのかな。そなた、初めてみる神様のようじゃが、どちらから来られたんじゃ」
と、御酒をすすめるのですが、山の神さんはお餅のほうがいいのです。
「ええ、初めて出雲へきて、びっくりしてますんや。うちはダイジグ(大神宮)さんのハタ(側)の山奥に住んどります山の神ですんや。で、これうちのカミさん、よろしゅう頼んます」
ペコンと頭を下げると、山の神夫人は口にほうり込んだ餅をもぐもぐさせながら、はずかしそうに会釈していました。
「山の神様じゃったか、おそろいでよう来なすった。さあさ、遠慮せんでもいい。ところで、ダイジグウさんのう……。どこのお国じゃ」
「知らんせんかな、伊勢のダイジグさんですがな」
「おうおう、皇大神宮か。天照【あまてらす】さまは今日もおみえじゃが、いつ拝見してもおきれいな神様じゃ」
話の合間にも山の神さんは、おいしいお餅をもくもくと食べながら
「なあ神さん、このうまい餅は、なっとして作りますんや」
「餅は普通、人間が作るもんじゃが、米の中でも一番上等な餅米を蒸して、杵【きね】と臼【うす】を使ってよくつくんじゃ」
パーティも宴たけなわ。御酒ですっかりでき上がった神様たちは、舞をする神、人間の真似をして笑わす神、得意ののどを披露する神たちで、時のたつのを忘れて大パーティになりました。
しかし、そこにはもう山の神さんの姿はみあたりません。
それもそのはず。山の神さんは、あの大鏡餅を作った杵と臼を拝借して、ひとあし先に帰ってしまったのでした。
村に帰った山の神さんは、毎晩毎晩二人でペッタンコ、ペッタンコと餅をついて、大好きなお餅を食べ続けたということです。
まだ話はつづきます。
パーティが終わったあと、出雲では大変な騒ぎとなったのです。大鏡餅を作る杵と臼がなくなったからです。
神様はすべてお見透しですから、犯人はすぐわかりました。「神の身でありながら、盗みをはたらくとは、何事ぞ」と、さっそく神様の役員会が開かれ、山の神さんを謹慎【きんしん】の身として、山の中に閉じ込めてしまわれました。
さあ、それを知った村の人たちは「餅を食わさんだわしらが悪いんや。なっとか、山の神さんを山から出したろに」と、相談が始まります。そうして、ひとつずつ大きなカギを作って、春にはみんなで山の神さんを、里にひっぱり出すことにしました。
村の人たちは、毎年春になると、子供たちを中心に、朝暗いうちから火をもやし、みんなが集まるのを待って、持ちよった大きな木の枝で作ったカギで、山の神を引き出すのです。子供も年よりも一緒になって「ヤーマの神さんヨーイショ」と声を合わせて引くのです。それから、みんなが火を囲んで、薄く切った鏡餅を、細い竹の先に差して焼くのです。
こうやって、一年に一度、山の神さんは村の人たちと楽しく、大好きなお餅を食べながら、春を祝うことができるようになりました。(おわり)