夫婦岩で知られる二見浦にほど近いところに、こんもりと茂る松下社の森があります。千年もの昔から素盞鳴命【すさのおのみこと】をお祀りするこの神社の辺りは、伊勢の神宮にゆかり深く、御茅【みかや】を献納する里でもありました。
これは、その森に暮らしていたと伝えられる“蘇民【そみん】”と“巨旦【こたん】”の兄弟の物語―。
むかしもむかし、天照大神【あまてらすおおみかみ】の弟神・素盞鳴命【すさのおのみこと】は、姉神のお怒りにふれて神々の住まわれる高天原【たかまがはら】を追われ、北の海に住んでおいでになりました。ところがある日、成年になられた命【みこと】は、〈温暖な南の海の神の娘を娶【め】とりたい〉と、南の国へ向けて旅に出られました。
険しい山を越え、大きな川を渡り、各地をたずね歩かれた命【みこと】が伊勢の地にお着【つ】きになった頃には、太陽は幾重にも重なる峰の向こうに傾きかけていました。さすがの命【みこと】も大そうお疲れでしたが、さらに南へと足を進められ、ちょうど“みわたの国”にさしかかられた時、日はどっぷりと暮れてしまいました。〈これは困った。どこか、宿を頼める所でもあればよいが……〉
すると行く手の薄暗がりの中に、こんもりとした森があり、なにやら灯火【ともしび】がちらちら見えます。命【みこと】が行ってごらんになると、立派な門構えの家がありました。この里で一番の長者、巨旦将来【こたんしょうらい】のお屋敷でした。
門から続く道の両側には太い松や檜【ひのき】が茂り、たくさんの家や倉が立ち並んでいます。その奥まったところに、大きな母屋【おもや】がありました。
「もし―。旅の途中で日が暮れて難儀をしている者、どうか一夜の宿をお願いしたい。」
この声に戸が開いて、奥から巨旦が顔を出しました。豪華な造りの家の中から灯火が眩【まぶ】しく洩【も】れ、深く一礼される命【みこと】の長旅でやつれた姿を照らします。巨旦は、命【みこと】の貧しそうな身なりに目をやると、
「汚【きたな】らしい。そんな汚【よご】れた着物を着ている者など、我が家に泊めることはできぬ。さあ、さあ、出て行ってくれ。」
「そう申されずに―。足も疲れて前に進まぬ有様【ありさま】、一晩だけ、泊めていただけまいか。」命【みこと】はていねいに何度もお頼みになりました。けれども、
「いかん。この森の向こう側に蘇民の家があるから、そこへ行って頼むがいい。」
巨旦はそうすげなく断ると、さっさと戸を閉めてしまいました。
命【みこと】は、仕方なく重い足を引きずって、蘇民将来【そみんしょうらい】の家をたずねて行かれました。まだ月のない暗い夜道は、星影ばかりが頼りでした。
しばらく行くと、森のはずれにぽっかり一つ、灯が見えました。その明かりを目当てに着いた家は、粗末な造りの小屋で、周りには茅【ちがや】や芒【すすき】が丈高く生い茂っていました。
そこで命【みこと】がわけを話され、一夜の宿をお頼みになると、蘇民は、
「それは、それは、お困りでしょう。遠い所からはるばるようこそお越し下さいました。こんなむさくるしい所でよろしければ、どうぞお泊まり下さい。」
と、快く迎え入れ、早速、命【みこと】のために粟【あわ】の藁【わら】を敷いて寝床をつくってさしあげ、蘇民の妻も粟の御飯を蒸しておすすめしました。
「こんな貧しい食べ物しかございませんが、どうぞ召し上がって下さいませ。」
命【みこと】は蘇民夫婦の温かいもてなしを大そう喜ばれ、みる間に粟飯を召し上がり、寝床に入って休まれました。
ところが夜半になって、命【みこと】は“あわさ”という北の国から恐ろしい悪疫が襲【おそ】ってくるということをお察しになり、蘇民を起こされました。話を聞いて驚く蘇民に、命【みこと】は家の外の、月明かりに穂が白く輝く茅【ちがや】を指さされ、それを刈り集めさせると、輪を編まれました。
「こうやって茅垣【ちがき】で囲めば心配はいらぬ。悪魔は逃げ去るであろう。」
そうおっしゃると命【みこと】はすぐ茅の輪を家の周りに張り廻【めぐ】らされ、またお休みになりました。
一夜明け、翌朝はからりと晴れたよい日でした。蘇民が起き出て里の家々を見て歩くと、どこの家も疫病で倒れ、誰ひとり戸外に出てくる者はありません。
「これはどうしたこと!!我が家だけが助かったとは―。なんと有難いことよ。」
蘇民は命【みこと】の不思議なお力に驚き、茅の輪のおかげで救われたことを喜びました。
命【みこと】は旅立たれるにあたり、蘇民に向かって、
「慈悲深い蘇民よ。われは素盞鳴命【すさのおのみこと】である。
これからどんな疫病が流行【はや】っても“蘇民将来子孫家門【そみんしょうらいしそんけのもん】”と書いて門口に示しておけば、その災【わざわ】いから免れるであろう。」
そう言い残されて立ち去られました。
その後、蘇民の家は代々栄え、いつの頃からか、伊勢の地方では新年のしめ縄に魔除けとして“蘇民将来”の符【ふだ】をさげるようになりました。この門符【かどふだ】を頒布する松下社の森は、誰いうとなく、“蘇民の森”と呼ばれるようになりました。(おわり)