伊勢参りの隆盛を支えた「御師(おんし)」。全国から訪れる参拝者を迎え入れ、宿泊や食事、祈祷の手配まで担った存在でした。本特集では、御師邸に残るもてなしの文化や人々を結んだ伊勢の信仰と旅の歴史をひもときます。

目次
「一生に一度はお伊勢参り」
そんな憧れの旅を、何百年も前から支えてきた人たちがいました。
それが、伊勢神宮の信仰を全国に広め、人々の参拝を支えた「御師(おんし)」です。

御師の起源は中世にさかのぼります。もともとは神宮の御祈祷に関わる神職の一部が、神宮の御札を携えて全国各地を巡り、神宮の信仰を人々に伝えたことに始まるとされています。御札を授けることで人々とのつながりが生まれ、やがて御師はそれぞれに檀家を持つようになりました。
こうして築かれた檀家との関係は、単に御札を授けるだけでなく、人々が伊勢を訪れるきっかけにもなりました。檀家が参拝に訪れる際には、御師は自らの屋敷に迎え入れ、宿泊や食事の世話をするとともに、神宮での参拝や神楽奉納の案内を行いました。御師の屋敷は、参拝者にとって安心して滞在できる拠点であり、信仰の中心でもありました。
江戸時代になると、社会の安定とともに伊勢参りは庶民の間で広く行われるようになります。多くの人々が御師を頼りに伊勢を訪れ、その数は飛躍的に増加しました。御師は全国に広がる檀家と神宮を結ぶ存在として、参宮を支える重要な役割を担うようになります。
その活動は伊勢のまちとも深く関わり、伊勢が「参宮のまち」として栄える基盤となりました。

御師の大きな役割のひとつは、全国の檀家を訪ねて神宮の御札や伊勢暦を授けることでした。御札は神宮のご加護を伝える大切なものであり、人々にとって伊勢を身近に感じる存在でもありました。
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また、檀家の人々が伊勢へ参拝する際には、自らの屋敷に迎え入れ、宿泊や食事の用意を行いました。さらに、神宮での神楽の奉納や祈祷の取り次ぎ、参拝の案内なども行い、参宮が円滑に進むよう支えました。
このように御師は、御札の配布を通じて信仰を伝えるとともに、参拝者を迎え、祈祷や参拝の世話を担うなど、人々と神宮を結ぶ重要な役割を果たしていました。
御師の活動は、伊勢のまちの発展と深く関わっています。
参拝者を迎えるため、御師の屋敷は多くの人が滞在できる広さを備えていました。屋敷は外宮周辺の吹上町などに集まり、「御師町」と呼ばれるまちなみを形成し、参宮の時期になると全国から訪れた人々が滞在し、まちは大きな賑わいを見せました。
遠くから訪れた人々を迎え、送り出す―
御師は各地の檀家と伊勢を結び、人々の往来を支えることで、伊勢が参宮のまちとして発展する基盤を築きました。

伊勢神宮への参拝は、全国の人々にとって大きな願いの一つでした。
しかし当時、伊勢参りは誰もが簡単にできる旅ではありませんでした。
人々は御師とのつながりを通じて参宮を計画し、御師の屋敷に滞在しながら神宮を参拝しました。
御師は神楽奉納の取り次ぎや滞在の世話を担い、参宮を支える重要な役割を果たしました。
御師は全国各地を巡り、檀家との関係を築きながら神宮の信仰を伝えていきました。そして参宮の時期になると、檀家を自らの屋敷に迎え入れ、滞在中の世話を一手に担いました。
御師の屋敷では、神楽の奉納や食事のもてなしが行われ、参拝は単なる旅ではなく、神聖な体験として人々の心に深く刻まれました。
このように御師は、神宮と人々を結びつける重要な存在であり、伊勢参りの文化を支える中心的な役割を果たしていました。
伊勢参りは、個人の参拝だけでなく、地域の人々の信仰によって支えられていました。各地では「講」と呼ばれる集まりがつくられ、講の代表者が参拝する「代参」が行われました。代参者は御師のもとを訪れ、神宮に参拝し、御札や土産を持ち帰って講の人々に配りました。
また、伊勢へ向かう道中で各地の寺社を巡る「枝参り」も行われ、長い旅の中でさまざまな信仰の場を訪れました。
江戸時代になると、「おかげ参り」と呼ばれる集団参拝が盛んになります。これは庶民の間で爆発的に広がった参宮で、多くの人々が伊勢を目指しました。こうした参拝者も御師の屋敷に滞在し、参宮を行いました。
御師は、講や檀家との関係を通じて参宮を支え、人々と神宮を結び続けたのです。
こうしたおかげ参りの広がりの中で語り継がれているのが「おかげ犬」です。
病気や事情によって参宮できない人の代わりに、犬が伊勢へ向かったとされ、首には旅費や願いを書いたものを付けて送り出されました。
道中では、人々が食べ物や水を与えたり、次の場所へ送り出したりと、見知らぬ者同士が助け合いながら旅を支えたといわれています。
このようなおかげ犬の姿は、「代参」の一つの形ともいえます。
御師の屋敷は、参拝者を迎えるための拠点でした。広い座敷を備え、多くの人々が滞在できる造りとなっていました。
御師邸では宿泊や食事の提供に加え、神楽奉納の準備なども行われました。参拝者は御師のもてなしを受けながら参宮を行い、伊勢での時間を過ごしました。

御師邸では、参拝者のために御神楽の手配が行われていました。
御神楽とは、神前で神に対する感謝を歌や舞などの歌舞音曲で表すものです。
多くの御師邸には専用の神楽殿はなく、広間や座敷をしつらえて神楽が行われていました。神楽を担う職人たちは御師邸を訪れ、そこで参拝者のために神楽を奉納していたといわれています。
御神楽をあげる檀家は東日本に多く見られたとされ、なかでも三日市大夫邸で元旦に行われた神楽は、二時間以上に及んだと伝えられています。
そして、御師邸での滞在を彩ったのが食事です。
参拝者には白木の膳が用意され、そこには伊勢の海や山の幸を取り入れた料理が並びました。
海辺の地域から訪れた人にも、山間部から訪れた人にも満足できるよう工夫されており、訪れる人それぞれにとって新鮮で印象的な食事だったことがうかがえます。
また、地方の人々にとっては、それまで口にしたことのない酒が振る舞われることもあり、こうした食のもてなしは、長い旅の疲れを癒すだけでなく、伊勢での時間をより豊かなものにしていました。
明治時代になると制度の変化により、御師の役割は終わりを迎えました。
しかしその歴史は、今もなお伊勢のまちの中に息づいています。

御師邸の遺構の中でも、市内に現存するものはごくわずかです。
門などが移築されて残る例はあるものの、丸岡大夫邸や東大夫邸を除き、当時の御師邸が建物として残る例はほとんどありません。
丸岡大夫邸は、御師の歴史を今に伝える貴重な存在です。
また、隣接する「おく文」では、再現された御師料理を味わうことができ、御師のもてなしの一端に触れることができます。
明治26年創業の老舗割烹「おく文」では、御師の館(丸岡大夫邸)で提供されていた食事をもとに再現した「御師料理」を楽しむことができます。
※ご利用は、御師ツアーまたは団体でのご予約のみ


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外宮近くに広がっていた三日市大夫邸の跡地。(伊勢市文化政策課提供)

現在の伊勢市役所駐車場前に建っている遺構・旧三日市兵部邸土塀。
往時を伝え、多くの参拝者を迎えた御師の暮らしを偲ぶことができます。
御師・林崎家が築いた文庫で、神宮の貴重な典籍を収蔵した施設。御師が信仰と学問の中心を担ったことを今に伝えています。

問屋街として栄えた地区で、参宮客を支えたまちの一つ。往時の面影を残す建物が並び、御師の時代の伊勢を感じることができます。
その他、三重県文化財のページでも、御師ゆかりの施設について詳しく紹介されています。
ぜひご覧ください。
明治時代になると、社会制度の変化により御師の制度は終わりを迎えました。しかし、人々を迎え、伊勢の魅力を伝えてきたその精神は、まちの文化として今も受け継がれています。
御師の屋敷跡や資料は大切に保存され、伊勢の歴史を伝える貴重な存在となっています。

近年、御師の精神を現代に伝える存在として活動しているのが、伊勢結人です。
伊勢結人は、伊勢を訪れる人とまちを結び、その歴史や魅力を伝える案内役として活動しています。御師が担ってきた「人と伊勢を結ぶ」役割は、形を変えながら現代にも息づいているのです。

2026年4月下旬には、御師の歴史と文化を紹介する新たな歴史博物館の開館も予定されています。
御師の資料や物語を通して、伊勢のまちの成り立ちをより深く知ることができる場となるでしょう。
多くの人々の想いを受け止め、伊勢参りを支えてきた御師。その足跡は、今もこのまちの中に息づいています。
御師ゆかりの地を訪ねながら、伊勢の歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
参考文献
・展示図録『伊勢のまちと御師』